仕事を辞めたい日本代表

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ソフトウェア開発 上司の横柄な態度と露骨な差別、ノミニケーションの強要

      2016/02/23

大学を卒業した時は夢に心を踊らせていました。

なぜなら、ずっと趣味で続け、大学在学中には憧れさえ抱くようになったプログラマとして就職できたからです。

就職した会社は決して大企業ではなく、中小企業の1つでしたが、不満に思いませんでした。

そして入社後は、仕事が楽しく、毎日が充実していました。

仕事中にミスが全く無かったなんてことは当然なく、残業時間も多く、終電帰りが通常の状態で、残業代もまともに出ませんでしたが、

それも含めて楽しいと思うことができていたのです。

仕事に対する不満もなく、上司や同僚との関係も良好で、本当に楽しい社会人生活だったと、今振り返っても思います。

しかし、「楽しい時間は長く続かない」

3年目の春、会社の執行部の決定で東京に支社を置くことになり、何人かを大阪本社から連れて行くことになりました。

正直な話、僕は東京を含む関東圏が好きではなかったので、東京行きには立候補しませんでした。

しかし、どうやら希望者枠に欠員ができていたらしく、会社から「東京支社に行け」と命令されてしまいました。

その時僕を襲った絶望と吐き気は今でも忘れることができません。

それでも会社からの命令である以上、従わないわけにはいかないので、次の月の1日付けで東京に異動することになったのです。

そして、僕の東京支社での生活が始まりました。

ずっと大阪暮らしで、親戚からもよく

「箱根の向こうは猿しか住んでない」「東京人は高飛車で鼻につく奴が多い」

と聞かされていたので、良いイメージは皆無でした。

ただ、実際に東京で働いて生活してみると、持っていたイメージほど悪い所ではないと感じました。

東京支社に勤務する人の約8割は関東出身者であったため、話している時のアクセントの違和感以外は大阪本社勤務の時とほとんど一緒で、徐々になれていきました。

ただし1人の上司を除いて。

その上司というのが、東京都内出身であることを誇りにしていて(それ自体は悪いことではありませんが)、

大阪組(大阪本社から異動してきた社員)たちを何かにつけて見下し、田舎者呼ばわりしてくる嫌な人でした。

東京はおろか、関東圏に足を踏み入れるのもこの時が初めてなので、「世田谷出身」というのが東京ではどれくらい偉いのか全く分かりませんでしたが。

それでも、仕事が円滑に進むのであれば、我慢もできました。

しかし、この上司の一番我慢できなかったところは、明らかな差別です。

この上司はお酒が大好きで、仕事が終わると、毎日、同じ技術部の後輩を連れて飲みに行くことが恒例となっていました。

もちろん部下である僕達に拒否権はありません。

その飲みの場では、延々とその上司の過去の栄光の自慢話を聞き続けるのが僕達の「仕事」でした。

ここまでなら、どこにでもよくある情景でしょうが、問題はここからです。

時間が過ぎ、そろそろ皆が終電を気にし始める頃、この上司の本領が発揮されます。

「明日も仕事があるから、お前たちはそろそろ帰りなさい」

とそれぞれにタクシー代を手渡し、帰宅の途につけるのです。

但し、東京組(東京支社で採用された社員)にだけ。

僕達大阪組は帰ることも許されず、その後さらに数時間、上司の自慢話を聞き続けることになるのです。

そして、やっと開放されたのは夜中の3時近くです。

挙句、その日にかかった会費は1円単位まで割り勘。

正直、腸が煮えくり返っていましたが、それでもまだ、こんなことが月に1回程度であったならば、我慢もできたでしょう。

ですが、それが月~金まで毎日繰り返されるとさすがに、精神的にも金銭的にも肉体的にも限界になります。

さらに、その上司は勤務中にもありえないことをしでかします。

僕はプログラマという仕事が好きなので、繁忙期に仕事で帰るのが遅くなる分には全く苦にもなりません。

ですが、暇で(他の業種と同じく閑散期はあります)、残業する必要が全くないのに、その上司は残業をします。

そして、その上司が帰らないので僕たちは「付き合い残業」を強制されます。これにも当然拒否権はありません。

それでもその上司にしかできない仕事があって、それで残っているのであれば、「付き合い残業」も我慢できます。

ですが、その実態は上司が後輩に今まで何人の女を喰ってきたかを自慢している、ただの「自慢大会」です。

ここまでくると、今までに積み重なった分も合わせて、正直うんざりしていましたが、僕達にはその上司の機嫌を損ねないように愛想笑いをすることしかできません。

もし反論などしようものなら、次の日から酷い仕打ちがまっています。

同期入社の友人などは、パソコンを奪われ(仕事柄、パソコンがないと仕事になりません)、代わりにただ時計をじっと見ているだけの仕事を与えられ、

それ以外は何もすることを許されない罰を与えられていました。

そんな日々を2年過ごし、我慢の限界がきてついに仕事を辞める決心をしました。

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