仕事を辞めたい日本代表

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年功序列の幼稚園教諭に疲れました

      2016/02/07

短大2年生になりたての頃、大学内の就職科では
『まず保育園ではなく、幼稚園で働きましょう!』と、真っ先に言われました。
保育園は結婚、妊娠、出産等の理由で保育の業界から退いた後も
再就職が可能で、むしろそういった経験が再就職の後押しにもなるから
保育園の就職は後回しで良いという判断からでした。
逆をいえば若さと自由になる1人の時間の多さが求められる幼稚園教諭は
卒業してすぐに就職しないと、幼稚園の就職は難しいということでした。

その言葉を信じて、私が就職したのは実習で2年間事あるごとにお世話になった
都内の私立幼稚園でした。
業界ではとても有名な園で、子ども達だけでなく
親も、教諭も共に学び育ちあうことを方針としていました。

そこは女性教諭11人、男性教諭が園長を含め2人の
一部家族経営の幼稚園でした。
年齢層は20代と大きく飛んで50代、60代と
幅が広く、実習の間は本当に和気藹々としていて
素敵な園だなと思っていました。
大先輩の先生方も、年齢は気にしなくていい
お互い育ち合いましょう!と、とても気さくに面談の時に話しかけてくださいました。
とてもいい園に就職できた!と、両親と共にとても喜びました。

私の指導係りになったのは30歳目前の既婚の先生でした。
子どもが大好きで、ご自身も妊活中とのことで担任は持たず
サポート係りという形で私のクラスの補助教諭になりました。
これがとんでもなかったのです・・。

まず、新人が初めに教えられたのは朝の事務所のストーブの着け方
コーヒーメーカーのセットの仕方、朝の清掃の道具のある倉庫の鍵の場所です。
これは、先輩職員が出勤する前に全て済ませなくてはいけません。
7時には園長先生がいらっしゃるので、その前にはこなくてはいけません。
その為に毎朝の起床時間は5時前後でした。

先輩に重いものや、面倒な残業はさせてはいけません。
4月1日に新学期を迎えるために部屋の模様替えをした際は
この補助教諭から畳の移動を頼まれました。
もう何年も敷きっぱなしで湿気でずっしりと重いもので
男性教諭ですら手伝いが欲しいと言っていたものです。
それを一人で運ばされました。ちょっとでも引きずろうものなら
『タタミ一畳ももてないの?今から心配だねーあはは』と
笑われました。

いざ子ども達が入園して、毎日を過ごす中で
卒業したての私はまだ右も左もわからず
学校では習っていないことの連続でした。
それでも頑張らなきゃ!と必死にしがみついて仕事に励ました。
けれど補助教諭は常に『なんでできないの』と怒り
時には体調が悪いからと、事務所にこもってしまい
なかなか教室には戻ってこないことも多かったのです。

朝は6時には職場に出勤し、帰りは片付けや翌日の保育案をまとめ
その後は、電車で1時間の会場で勉強会に参加し、帰宅するのは毎日1時過ぎ・・。
こんな毎日ですから段々と体重も減り2年目の時には-15kgになっていました。

2年目の秋、辛い日々送っていた私をずっと支えてくれた人との間に子どもができました。
順番は逆になってしまいましたが結婚をすることになり、お腹の子の月齢的にも
3月までじゅうぶんに働ける状態でした。
けれど、私をまっていたのは子どもを保育する者とは思えない一言でした。

『おろさないの?その子』

今でもはっきりと覚えています。自分達が掲げている方針とは真逆です。
20代、50代の先生方は結婚はされていますが
お子さんがいらっしゃいませんでした。
その彼女達を差し置いて20代が妊娠、出産、結婚をすることは許されないそうです。
なぜ、30代が在籍しない園なのか解りました。
先輩より先にきて用意をする、先輩を先に見送って後片付けをする。
そこまでは理解のできる範囲です。
けれど、結婚出産まで年功序列なんて
待っている間に適齢期を過ぎてしまいます。
ここにいては人生の色々な適齢期を逃してしまうと思い
退職を決意しました。
3月まで担任を離れたくなかったのですが、退職の決定打は
9月の寒い川に妊娠したことに嫉妬した補助教諭から突き落とされ怪我をしたからです。

現在は、縁あって私立保育園で臨時職員をしています。
下は20代、上は80代ととても幅広い年齢層が勤務していますが
あの頃のような思いは一切しておらず、保育園側からの配慮もあり
家庭の両立もでき毎日楽しく過ごしています。

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