仕事を辞めたい日本代表

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私がシステム開発営業を辞めた理由

      2016/02/27

ITのIの文字も分からない私が、システム開発会社の営業職に就いたのは、奇跡でした。

当時の私は、一人暮らしの自宅にインターネットさえひいていない程、WEBに疎かったのです。

営業職を選んだのは、人見知りの性格を直し、社会人らしい振る舞いが出来るようになりたいという思いからでした。

営業にも様々なスタイルがあると思いますが、私の働いていた会社は、ベンチャーといわれる中小企業でした。

その社内で、私の仕事は提案営業というスタイルの営業でした。

既存のお客様と関係性を作り上げていく提案営業というスタイルは、初めこそ苦手なオフィシャルな人付き合いだと思ったものの、一担当者ベースでお付き合いし、回を重ねて訪問する毎に、信頼を少しづつ積み重ねられているという実感が、自信に繋がり、やり甲斐を感じるようになりました。

そうなってくると、お客様に持っていく資料作成にも力が入ります。

より他と違った提案を、より新しい提案をと思い、会社に戻ってからの仕事が増えてきました。

元々の負けん気の強い性格からか、自分の出来る範疇を増やしたいと、ソースを読む練習をし、独学でコーディングスキルを身につけました。自分が納得した上でないと、商品をリリース出来ないと思い詰め、どんどん仕事は増えていきました。

というのも、私が入社した頃の自社の製品は、エンジニアテストの漏れが多い状態でした。

直接お客様に提出する営業の目からすると、とてもリリース出来る状態ではなかったのです。

エンジニア側にも理由がありました。

作業量の多さと人手不足で、早く仕上げる力は身についているものの、確認を怠る癖がついていたのです。

要は、中小企業によくある人手不足からなる負の連鎖でした。

残業が増えてきた私は、部長にも言わしめる程に、根性だけはある女性社員になっていました。

夜中まで残業をし、タクシーで帰宅する事も、月に一度や二度ではありませんでした。

そんな頃、業務形態に疑問を感じた社員の入れ替わりが始まり、元々男性の多かった社内に、女性は、私1人という状態になっていました。

月日が流れ、プライベートでは、結婚もしていた私は、主人よりも帰宅の遅い仕事に限界を感じ、退職する事を決めました。

退職はしたものの、後悔や愚痴はありません。

業務形態が過酷だったのも、必死に仕事をした結果であり、多くの中小企業では、誰かがやらなきゃいけない時はあると思います。

そして何より、頑張りたい人には道を開いてくれる社長がいた為、入社時には無知だった私は、仕事の範疇を広げる為、コーディングを勉強し、現在WEBデザイナーの仕事をするまでになりました。

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